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■03/12/03 39巻の先を思うと
39巻の先を思うと


先日、39巻の感想をUPしたのですが、39巻を読んで…これからのことを考えて止まらなくなったので書き出して思考整理中です。
最初に読破してから数日が経過した訳なのですが、もう昼も夜も夢の中までも。
ずっとずっと今回の新刊の…あとがきの最終巻予告で頭がいっぱいです。

怯えつつ見ない触れない考えないことにしていた「最終巻」なので、尚更です。
もう、どーしよう〜〜どうしたらいいの?ってり叫ぶだけの時期は過ぎて、どうにか平静になれた…ような気がしています。
それでも一度考え出したらもう止まらない。
堂々巡りな思考になってきて、すっきりしない。
そんな訳で思考整理ついでに、とことん書き出すことにしました。

本文についての感想ではないので、39巻の内容に関しての感想は、別ページを見てくださいね。

・39巻の衝撃の余韻
今回、本編の衝撃から立ち直るのは早かったんですが…後からジワジワと効いてきました。
ああ、でも正しくはあとがきの予告だけが効いているのだと思うのです。
(だから39巻の感想に追記ではなく、別にしてます)今、39巻のどこが心に残っているのか?と聞かれたら…
あとがき以外は矢崎君の活躍とうなぎしか咄嗟に思い出せないのですが(汗)
それなりに、心にグッとくるところも、今後気になる場所も沢山沢山あったはずなのよ。
でもでも、あとがきのあの三文字で私の心はすっかり思考の迷路へ迷い込んでしまいました。あああ;;;

これ、書いてるのは読破後1週間(と、編集は約3週間後)なのですが、まだまだまだまだ正直立ち直れてない気がします。
この現実を考えるのが辛くて、いっそ別ジャンル作品へ逃避…とか、他の事に夢中になって自分を保とうとしたの。
けれど、ふとした弾みに、ああこれならミラージュで考えたら〜とか、結局思考がミラージュへと戻ってしまう。
その度に、次で最終巻…と考えて最終巻についての思考がぐるぐると回り始めてしまう。
このままじゃ、落ち着かない〜と思って、どうにかしなきゃと、もがいてるのですが、浮上できない。
まだまだしばらく余韻が続きそうです。

そろそろクライマックスとか、ファイナルとか。
そんな単語が出てくれば、いよいよ終わりなのか…と心の準備をしてきたようなものですが…
それでも最終巻の文字は……まだすっきりと消化しきれないです。
(そもそもすっきり消化できていたら、こんなにうだうだと悩んでませんね)

本当に終わりが来るのかと、疑問に思えたことも過去にあったし。
今でも本当に次で終わるのかって半分以上信じていないし、まだ信じたくない。

終わりを見つめるのはとても怖い。
見れないよりも、見れたほうが良い。
完結しないより、したほうがいい。
物語の先が知りたいけれど、終わって欲しくない。

そんなことを考えているうちに、なんで自分でここまで終わりを恐れているんだろうかと。
自分なりにちょっと分析してみる気になってみたりして。

・終わりが怖い理由
終わりについて現実味がまったくなかった訳じゃないの。
見ないふり、じゃなくて…見たくなかった。考えたくなかった。
これが正直な心情。

じゃあなんで終わりを見つめたくないのか。
─それは楽しい時が終わってしまうから。
─この日常が終わるような気がしているから。

要するに私は、「現在進行形」を楽しんでいる。らしい。
終わってしまった物語を読み始めた訳でないから、余計に抵抗があるんだと思う。
これはとてもわがままな事だと思ってる。
先生に対しての感想としては絶対にかけないし面と向かって(ファンレターで)なんてとても言うべき言葉じゃないんだろうな…とは思う。
でも、私の心の中では正直言って、これがきっと大部分を占めているんだと思う。

ほんの少し先の本当の未来なんて、私は能力者ではないので見ることはできません。
この一連の文章をまとめる前に、私が事故にあわないなんて、誰が断言できるのだろう。
先がわからないからこそ、人生は怖くて楽しい。
そして、完結していないからこそ、先がある怖さを味わえる。
その辺りが完結していない魅力、現在進行形で物語を楽しんでいる醍醐味だと思う。

終わりを知っていたら、再び読み始めたときに、最後にどうなるのかを忘れて読むことができるだろうか?…と。
…そういう意味で、例になりそうなモノといえば…邂逅編。
私、邂逅編はあまり楽しめてない気がしてます。
どんな危機に陥っても、主人公達があと400年は大丈夫だって知っている。
読んでいて、心底ハラハラとしないんですよ。危機感が自分の中に湧いてこない。

ネタバレのときと似てるような気はするの。
ですが、ネタバレとちょっとちがっている。
物語の終わりを知るということは、裏を返せばその先がないのを知ってしまうということに繋がらないだろうか。

終わってしまう=終わりが確定するということは、もう、道が未来が一本になってしまうということで。
私、たぶん、今の私自身の人生のように、未来を選べることのできる選択肢が消えて本当にミラージュが「物語」になってしまうのが寂しいのだと思う。
私にとって、ミラージュの世界は私の中で第二の人生みたいなものだから。
自分の人生にあちこち重ねているのだから。

まあ、人生に重ねて…なんて深刻に考えなくても、時事現象に重ねたりして物語の中の現代風景をみるのも中々楽しかったんですね。
例えば、昔ポケベル。今、携帯みたいな。
話の中の現代は、この現実に近い状態だったんだけれど、話が終わってしまったら、その話の中の時はずっと止まったままになってしまう。
10年経って、読んだらきっと「ああ、10年前の世界だ〜なつかしい」と思えるかもしれない。
けれどいつまでも、現実と寄り添ってて欲しかった。(大げさかしら?)
それが少し寂しかったりする。これは、だたの感傷かもしれないけれど。
私はそれだけでも、今の日常が終わりになるような気がしている。
事実、毎日考えつづけていた作品が最終巻を迎えるんだから…今までとは違う心理状態になるし他にも色々と影響が出ると思っているんだけれど…。

身近なところで、話が終わってしまった後についてを想像してみると新たなファンとの出会いの確率がへるかなと。

別に今でも熱心に他のファンと交流しているのかと聞かれたら、それほど熱心という訳ではないのですが…
こんな私でも、好きなWEBサイトとかはいくつもあって、それはもう楽しく楽しく拝見しているんですよ。
でも、そんな好きなサイトさんも…完結したらどのくらい残るのだろう?
いつまで続けているだろう?
この小説を愛して「ミラージュ」に生涯をかけて骨を埋めるわって人はいるんだろうか?
もしかしたら私が最後の一人になるかもしれない。(その可能性は0%じゃないと思う)

冷静に考えても、終わってしまったら…とりあえず、他のメディアで取り上げられる可能性がへると思う。
少なくても、雑誌コバルトにミラージュのミの字が出ることも減るよね。
この先、新刊というものが存在しなくなったり、他メディアへの展開がなければ話題となる機会ももっと減っていく。
それは、ミラージュを知らない人が知る機会が減るということだと思う。
新規参入するファンよりも、離れていくファンが増える日も来るだろう。
いつまでも同じ作品を愛し続けている人ばかりとは限らない。(私もだが)
私だって、ミラージュは生活の一部になっているけれど、本当に本当に心の底からこれだけを見続けて考えている訳じゃない。
他のジャンルの本や他の趣味なことをしたり…色々している。
ミラージュのファンの中で一番!…というような称号にはすでに興味がないので、それでも良いと思ってる。
これからもたぶん、のんびりとマイペースに愛を深めていくんだと思うけれど。

とにかく、誰も新規に入ってこないジャンルならば、出て行く人しかいなくなる訳で。
どう考えても人が減る=ファンサイトが減っていく。
自分が…ということも重要なんだけれど、周囲に同じ小説のファン・語れる相手がいなくなっていくのも、寂しい。
それが例え交流したことも面識のない人たちだとしてもね。
同じ話題で語り合えるかもしれない、そんな可能性がある人が去っていくのはとても寂しい。
…まだ気が早いといえばそれまでなんだけどね。

しかし、「ネタバレ」という現象はこの先、話が完結してしまえば(最後まで読了してしまえば)味わえなくなることなんですよね。
あれも、「読むまでは私は知りたくない」って毎回とてもドキドキしている。
ネットで見ないように、ネット控えたり早く読み終わるように、早売り買いに行ったり…色々対策しつつ、ある意味とてもスリリングだったんだけど。
もう、この先、それもなくなってしまう。喪失感でちょっぴり寂しい。

なくなるといえば、ツアー先でのご当地ミラグッズ。
某所のステッカーとかキーホルダーとか色々と過去に販売されてたけれど…
それも自分で全部入手する前に、販売終わるかもしれない;;;ああ、今のうちにツアーしておかないと。
そんな強迫観念が少しあります。

要するに、終わることで日常が変わりそう。周囲からミラージュネタがわかる人が減ってしまう寂しさ。
さらに、物語がこれから進むことがなくなるから、その喪失感等で、最終巻を迎えることが嫌になってるみたいです。
(長いよ、ここまでまとめるのに…)

あまりにも、現在進行形という形の話で当たり前という状態が長かったから…
それが終わることが一番、未知の世界で恐れているんだと思う。

しかし、嫌だのなんだと言っても現実には最終巻が目の前に迫ってますんで…
頭をちょいと切り替えてみます。

・終わりを楽しんでみる気分を変えて、別発想をしてみる。
─終わりを楽しむ。
これ、簡単そうでいて、これがなかなか・・・今の私の精神状態じゃ辛い。
ですが…ちょっとだけ頑張って考えてみました。

・完結することのメリットについて考える
個人的にはくどいようですが、終わらないことが一番の望みなのです。
が、完結することでの、良い点について考えてみることにします。

─資料作りやすい。
人物とか用語とか、これ以上増えないなら、まとめるとしても全体が見えているから気分的に楽になると思う。

─ツアー計画が立てやすい例えば作品の中で出てきた熊野周辺を全部回るぞ〜というような旅計画をたてやすくなる。
行ったばかりの場所のすぐ側などが、後から出てくると、ちょっと悔しくないですか?
私は、少なくても…悔しい。だって全部この目で現場を見たいから。

─人に薦めやすくなる。
何時まで続くかわからない長編小説は、人に薦めにくい・・・。

─桑原先生の新しい作品が読める
これは、新しい作品を望んでいるかとか、先生のファンなのか作品のファンなのかで意見がわかれそう…。

─最終的な作品への世間の見方がわかる。
人に薦めるにしても…この作品は戦国武将が現代に復活したり、主人公達の人間関係についてが面白いサイキックアクションなんだ。
…と、力説してみたところで、一般的には「●モ小説」とか「B●」と言われると悲しくなる;;;
最初からそれならそれを踏まえていれば、紹介する方法も違うのよ。
完結してなければ、「●●だけどXXな作品」って言えるかもしれないって期待し続けてしまう。

他に思いつかない…。他に何かあったら書き足そう。。


しかしよく考えれば、最終巻なんて、メモリアルですよ?
気分を盛り上げて迎えないと!!楽しめないっ。
盛り上がろうよ〜(半分くらい自分に言い聞かせ)ということで。

・最終巻をどうやって迎えるか。
自分自身への課題です。ラスト予想ではなくて。

まずは場所の問題。
実際、初心に戻って松本や春日山まで行くとか四国とか伊勢まで行くかとか考えたけれど・・・
よく考えたら、そこまで行く前に、本を手にしたら一刻でも早く読みたくなる。
ツアーに行く前に入手したら、移動中に読んでしまいたくなる自分がいる;;;
そして読むときには、なるべく一人になってゆっくりどっぷりと浸りたい。
そうすると、友達とツアーがてらなんて…うわわわ、無理かもしれない。

では、一人に浸りたい場合、どこにするか。
自宅は…却下。
なぜなら、家族の目がある。思う存分泣き叫べない。
普段なら、それでも我慢できる。が、これで最後なのよ?
思う存分、長年の溜めに溜めた感情をここぞとばかりに発露してもいいはずだ。うん。
だから、自宅は却下。
うっかりちゃぶ台ひっくりかえすかもしれないし、パソコンを投げ飛ばすかもしれない。
カーテン引き裂くとか予測不能なほど暴れるかもしれない。

ならば、一番いいのは、ホテルかもしれない。
自ら暴れてモノを壊したらホテルの品は弁償せねばならないし、他人に迷惑がかかるかもしれない。
そう考えると、うまく理性が働いて落ち着くことができるかもしれない。
(こんな考えで落ち着こうとする自分が少々情けないのですが…)
それもホテルが本屋の近くならさらに良い。買ってすぐに一人の世界に入れる。
部屋に本と食料だけを持ち込んで…起こすな札をかけて…。外部と閉ざされた環境で。
うん、いいかもしれない。
だがしかし、歩けなくなったり、ショックを受けすぎてしまったらどうしよう??
読む前に、万が一放心しすぎてもいいように、最低限自分の連絡先を書いてフロントへのことづけを書いておくべきかもしれない…。
笑い事ではなく、自分で結末を読んだ後にどうなるか、正直言ってわからなくて不安なのよ。

しかし、もうちょっと想像を働かせてみよう。
実際目の前に新刊…それもラスト。これで本当に長かった物語が終わってしまう。
それがわかってて、ためらいなく読めるだろうか?
─否。
少なくても、私はかーなーり、ためらうはずだ。
すぐに…発売日に入手したとしても読む気力と勇気がなくて読めないだろう。


毎回、フライングしてでも一刻も早く入手して読破したい〜と思う衝動の源は、単に他人にネタバレされるのが耐えられないから。
その一点に尽きる。
ネットしなければ…とりあえずネタバレにあう心配もない。
けれど、今の生活では実際、仕事中にネットしたりしてるんで、絶対に外部からの情報をシャットアウトできる自信はない。

ネットに限らず、電話や他のメディアなどによってネタバレを知ってしまう可能性もある訳で…
ううう、はっきり言って、外部との接触を完全に断って、ひきこもり状態になるしかないかも。
そうすると、今の仕事やめないと…。
来年のその頃は会社で大リストラ…もとい、自主退職希望を募るかもしれないから、そしたらやめるのもいいかもしれない。
今の仕事を続けているのは、小説世界を堪能するため。
旅行資金およびネット代、同人誌代、グッズ代などの趣味に使う資金のためであって、生活のためって訳ではないのだ。
生活のためだけなら、別に今の仕事じゃなくてもいいはずだ。
きっと私の適職は他にあるのよ。うん。
一ヶ月で100時間も残業するような仕事じゃなければ何でもいい…(やや逃避気味)
ああ、仕事やめたなら、ついでに四国札所巡りしたいな。…そんなことはおいといて。

とにかく、ネットでのネタバレを読むのが怖いから、発売前はたぶんネットをしない。
それから、少しでも情報を目にするのも嫌なので…新刊の表紙ネタを読まないように半月前からは、メールすら溜めてしまうかもしれない。

そんな訳で、ネット断ちが実際できるかどうか…はおいといて、ネタバレの心配がなく、ゆっくりと読める場合についても考えてみる。

まず表紙とオビだけを眺めて3日はそのままページも捲らない。
表紙とオビとタイトルだけで、ひたすら中を想像しつつ、長かった物語を回想する。
できれば、事前に全巻を読み返しておきたい。
読むのが楽しみな反面、終わることが怖いし、どうなるのかと思うと、3日どころか1週間くらいは、表紙だけで満足しそうな気はします。

読み始めるとしても、最初の1章だけできっと本文読み始めの1日分が終わる。

それ以上は興奮しすぎて血圧が上がりすぎるだろうし、精神的にも無理だと思う。
何しろ、読めば読むほど、ラストに進む訳で。
くどいようですが、ラストを迎えるのに怯えている現在、一日1章分どころか、数ページ、いや数行しか読み進むことができないかもしれない。

翌日、もう一度冒頭から読みかえしてみて…怖くなければ次の章までいけるかもしれない。
それを繰り返して…時にはためらいながら、読まない日も一日くらいあるとして…
いろいろと考慮すると早くて10日。ゆっくり読めば2週間以上は、軽くかかるだろう。

いつもは、時々深呼吸&休憩して適度に興奮を抑えながら読む。
自分が過去に一番ドキドキしながら読んだ巻では…
1章どころか、1〜2ページ読むたびに、悲鳴をあげるわ、絶叫するわで、読破に3日かけたことがある。
…最近こそ、ネットでネタバレを読んでしまうのが辛いので、必死に急いで読むけれど。
毎回、読むのが勿体無い気分になっているので…時間制限(急ぐ理由=ネタバレ恐怖)さえなければ、ゆっくり読んでいるはず。

とにかく、そんな状態で読んでいるので、少なくても本当に2週間以上になるのは想像に難くない。

しかし、読んでいる最中に本当に最後が見えたとき。
もしかしたら読めなくなってしまうかもしれない。
ページを捲ることをやめてしまうかもしれない。
だって、読んだら終わってしまうのよ?
終わりを見届けたいって思いはあるんだけれど、それ以上に、終わってしまうことが何より辛くて切なくてやりきれない気分になると思う。
だから最後のページまで読むのに、どのくらいかかるのかわからない。
もしかしたら、さくさくと読めてしまって、2時間程度で読破してしまうかもしれない。
3日かかるかもしれないし、10日、半月、一ヶ月…それ以上かもしれない。
結局、読破することはできないかもしれないのですが…。

読みたくない訳じゃないの。むしろ読みたい。
けれど、終わりを知るのがとても怖い。
その辺りが自分の中で衝突していて、毎日意見が変わってしまうんですが;;

・作品の完結について
前に、30巻で終わりって話(対談記事)がでていました。
しかし、すでに30巻というのは過ぎてしまっていた考えれば、もうとっくに過ぎてしまっている。
もしかしたらこのまま永遠に終わらないかもしれない…なんて夢を抱いたりはしてたんです。
でも、終わりなんて言葉を使うくらいだから、あの対談の頃か、もっと前から、先生は終わり方向を考えて話を書いているのではないかと。
きっといつかは本当に終わりが来るのかもしれないなぁと。
でもその終わりがいつかはわからないけれど、ずっとずっと来ないといいな〜とは考えた気がします。
それがついに来ちゃったのね〜と思いながら延々とこんな文を書いているんですが、今からこの調子では最終巻を読んだら…どうなるんだろう。ううう。

少なくても完結はして欲しいとは思う。
完結してない長編シリーズ物は世の中に沢山あるけれど、未完にしておいてもいい作品とそうでない作品というのがあると思う。
あくまでもこれは私の主観なのですが…
未完でもいいと思えるのは、例えばある人々の日常を切り抜いたような作品。
ここが終わりだと言えば終わりで納得してしまうような作品。
未完にしておくべきではないのは…一貫したストーリー性がある作品。
読むからには最後まで結末が知りたい、そんな作品。

炎の蜃気楼は、全体的にストーリー性があるので、自然と未完にするべきではない作品になる。
(くどいようだが私の主観です)
もしも、この作品が、「各地の怨霊を調伏していく物語」の部分を強調していたらきっと未完でも良かったのかもしれない、と思う。
仮にそんな話だとすれば、私はここまで夢中になっていたかどうかは謎だけれど。

けれど、そんな考えを抱きながらも、未完結のままでもいいとも思う。
この先どうなるんだろう?と、ずっとずっと思い描きながらあとは読者が想像して…そんな生殺しな状態でもいいと思う。
終わるということは、未来がひとつに決定してしまうわけで…未完結であれば、道はずっと続いていると読み手は希望をもつことが出来る。
それについては他に色々な意見があるかもしれないが、私は少なくてもそう考えている。
自分自身、これで良いのかどうかも私が考えるべきことなのかすらも、段々わからなくなっているのだから。

とにかく難しいことは抜きにしても、私はまだまだ読み続けていたかったんだよう。

ずっとずっとこの物語のラストを迎えることなく、読み続けていたいってのは、こちらの身勝手な想いだと、十分わかっているんだけれど。
それでも、長年、本当に読み始めてからのこの約10年、毎日考えて読んで…すっかり生活の一部となってしまっていて、血となり肉となってしまって。
もう本当に作品に触れることがない日はなかった、と言い切ってしまいそうになるほどで。
とにかく夢中になって生活の基盤としていたから。
今日でこの生活は終わりです、なんて簡単に切り替えられるはずもなくて。
ただただ…諦め悪くこうして呟き続けるしかないんです。

今までに終わりを経験したことがなかった訳ではないの。
そのたびに他の何かを見つけて依存先をかえたりしていたけれど。
すりかえられるほど、釣り合いの取れるようなものは見つからないかもしれない。
あまりに、私の中の存在として大きすぎるから。

完結した作品として読み始めた訳ではなく、予測不能な人生のように、先のわからない物語という状態がずっと当たり前だったから。
完結した作品となった時、要するにこの作品の未来への針が止まったとき思い出だけで生きていけるだろうか…
というのが私の最も心配な事であり、恐れていること。
それでも、容赦なく終わりはやってくるんで…どうにもならない事なのだけど。

永遠にこの物語だけを愛して生きていけるとは思えないけれど。
別に完結したからといって、その愛を別方向へ向ける必要もないとわかっている。

完結したことで、変わるのは、きっと自分自身よりも周囲だと思う。
今は、まだ大勢のファンがいるし、一緒に語れる友人もいる。
何時の頃からか、ファンページの数が増えてしまってすでに一日では全部を巡回できないほどになっていて、
400サイトを数えた時点からチェックするのを諦めてしまった。
増えたのはとてもいいこと、嬉しいことだったんだけど、全部見れないのがちょっと残念だったりして。
今では半年に一度、自分のブックマークチェックをするために一週間以上かけて集中的にチェックをするけれど、
それでも毎回30から50サイトは新しいところを発見するし、閉鎖してしまったところを見つけるし。
つくづく個人ページってナマモノだなと感じる。
まだファンサイトが1桁な頃からWEB上をあちこちチェックをしている身としては…
増えてとても嬉しいし、色々な人の意見や感想が読めて楽しいけれど…ある一点においてもの足りなさを感じている。
こうして自分の言いたいことを自分で発表するのは簡単なんだけれど交流するのは、とても難しいなと。
積極的にならなければ、受身のままでは新しいお友達はできないな、と。
もう少し積極的になればよかったな、と、今になってしみじみと感じることがある。

もう何度も閉鎖しようかと考えたことがあったけれど、そのたびに続行してきたのは、、、
単に、誰かに出会えるかもしれない、っていう希望が捨てられなかったから。
けれど、作品がラストを迎えてしまえば…当然、離れてしまう人も増えてしまうだろう。
これ以上、新しい刺激が得られないなら、きっと将来ファン人口は減ると思う。
新規に読み始める機会だって減ってしまうはずだ。
だから、ここであえて書いておこうと思う。

炎の蜃気楼と桑原水菜について同じ目線で熱く語れる方をお友達として熱烈募集中です。
こんな文を延々と読んでくださっていて、よし、相手になってやろう!という方はとりあえず、メールくださいませ。

自分では、もうちょっとすっきりと終わりを見つめられるかもしれないと思っていたんですが…。駄目ですね。
考えれば考えるほど、大人になりきれてない自分がいる。
ああ、もうちょっとカッコイイ大人になれたと思っていたんだけどな。
橘さんほどじゃないとしてもね。

別に作品が終わってしまうからといって、他に好きなものを見つけなきゃって訳じゃないんだけれど。
終わってない物語と終わってしまっている物語では、違うのよ。
(ああまた思考が堂々巡りに)

いっそ最後まで読まなければ…私の中で、永遠にラストを迎えてないことになる。
どうしても自分で終わりにしたくなければ、最後まで読まないっていう選択もアリかもしれない。

完結しているのに最後まで読む・読まないのは、読み手の勝手。
その選択の自由を最終巻という形でもらえるんだから、喜ばないといけないんだよね。きっと。
だって、完結しなければ、生まれない悩みだもの。

こうして辛いとか嫌だとか書いていても、きっと最後まで、私はいつか読むんだと思うの。
最後まで見届けたいってのが長年の願いだったから。
ただ、その瞬間をどこで、どうやって迎えるかってのが…ああ、これじゃまた堂々巡りか。

最終巻の内容を、少しだけ想像してみる。
最低限、ラストまでに絶対に出てくる内容は
・高耶さんのビデオと手紙。
・信長との決着(決着がつくかどうかは置いておいて)
むしろ、赤鯨衆がどうなるとか…闇戦国がどう終わるかというのはもう大きくなりすぎていっそ触れないほうがいい。触れないでほしい。
でも、もしもこの辺りの内容がきっちりと事細かく書かれたとしたら、私、桑原先生に一生ついていくよ。
毎回なんだけど、大騒ぎのはずの後始末、細かくきっちり描かれていたことは少ないので…。
今回もさくっと、終わりになってしまいそうな気がします。(それでもいいと思えるところが魅力だと思ってる)

時空縫合の、イセのように、あっという間に時間が経って終わりとか。
……コレが、作品中で一番怖い出来事でした;;;マジで終わりかと思って。
あの再現だったら…ううう怖いよう;;;

読み終わってしまえば…ツアーに行きたいと思う。
読み終わったら、きっと最初から全巻ぶっ通しで読み返して、最初に終焉の地か松本のどちらかへ行くと思う。
それから関連地へツアーする。今まで行ってなかったところもまだまだあるし。
熊野と富山と邂逅編ツアーだけはしてないけれど、それ以外はほとんどツアーしてるので細かいところまで網羅させたいです。

けれど、その地で最終巻を読みたいのか?って考えると…やっぱり落ち着くところで読みたいのよね。
だから前述してたと思うけれど、ホテルか、どこか一人になれるところで、外界と遮断して心おきなく浸りたい。

少なくても、多分、遣り残したことが沢山あるので完結したからといってまだ死ぬつもりもない。
数年前なら完結したら死ぬかも…とマジで死に方まで考えたかもしれないが今はまだ、終わることができない。

もしかしたら、アニメが続いてくれるかもしれない。
番外編が出るかもしれない。
そう考えると、もう先が絶対に見れないと思うのは先生が亡くなってしまうか…出版社がつぶれるか…;;;(縁起でもねぇ)
そうまでしなければ、もしかしたら…って未来にすがっていける気がしてます。

多分その二つが発生しない限りは、この先、ファンを止められそうにはないです。
自分から切り離す、というのが苦手な性分なので。
よほどでない限り、手に入れたものは手放さないし、自分から捨てられない。
欲張りで臆病なんです。私は。

・・・これ以上書いてもまだ堂々巡りしそうなんで、この辺りで区切ります。
一貫性がない文章でしたが、思考整理の延長なので…;;;

長文を読んでくれてありがとうでした。
こんなに書いても、結局思考整理は出来てない…うう;;

03.12.03UP


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