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■04/04/27 40巻感想
40巻感想


永い…、本当に永い間、私はこの作品の虜でした。
最後まで、先の展開を読めなかった。
良い意味で、期待を裏切られることはなかった。
負けたよ、桑原先生。本当に脱帽です。
私には先生の、思考の先を読むことがついに出来なかった。
先の展開がまったく読めなかった。
…それは裏返すと、いつも私の予想外で、飽きることがなかったという。
ここまで飽きない話に出合ったことは私の人生においてありませんでした。

この作品の先の未来はもう、私達読者が想像するしかないのだろう。
それはそれでかなり寂しいことです。
けれど、そうして完結して読み手のもの、としてくれた、桑原先生に今、心から感謝とお礼が言いたい。
最後まで読めてよかった。先生の読者でいて本当に良かった。
ありがとう。

さて40巻の感想です。
怒涛のような、そして終わりにふさわしい巻でした。
簡潔に感想を表現するのも難しいのですが…読了して、最初に抱いた感想をどうにか表現するならば、「ここにたどり着くまでに十数年…私は時空縫合にかけられたのかもしれない。
これは多分、夢だった。素晴らしい夢を見た」と。

この巻ほど、読む手が震えたことはなかった、と思います。
最高の緊張感と期待の中で読みました。
できることなら、ずっと終わることなく読み続けていたかった。
読み終わることを、これほど恐れていた巻はありませんでした。

心御柱の仕組みは、いい意味で予想外でした。
最終巻にふさわしく、さりげなく過去を辿ることができて楽しかった。
この巻を読む前に、私はこの一ヶ月で39冊+αを読み返したばかりだったので、余計に胸が熱くなりました。
彼らの400年。ああ、とても遠いところまで来てしまったなぁと。
感慨に浸る私の胸を、熱くさせたのは謙信公の登場でした。
思えば、謙信公はとても不思議な存在でした。
とても大きな存在だったけれど、彼自身が登場して語ったことはなかった気がします。
あの対面の場面では、もうひたすら景虎に、良かったね、良かったね、と言ってあげたくなりました。
謙信公が告げた真相よりも、私は、もう二度と逢えないと思っていた人との再会を祝してあげたかったのです。

二度と逢えない人といえば、氏照もですね。
兄と弟のあの場面は、直江じゃなくても、しばらくそこに留まりたいような気分にさせました。

信長についてですが、信長を追跡する過程で、敵の人生を辿っていくってことは、知らなければ単純に持てた憎しみも、知ってしまえば、同じようには思えなくなるんだなと感じました。
けれど、たとえ相手の痛みを理解しても、理解したからといっても許しまでには辿りつけないものなのだというのがわかりました。
信長の場合は、知ったからといっても、私には許せるものではなかったですが。
けれど、知ったことで、今までのことを思い返してみれば、また違う側面で物事を見ることができそうで…ちょっと読み返す楽しみが増えました。

現時点では、とりあえず私は信長を好きにはなれそうにありません。
信長は、死者の怨念が動かしたのかもしれない。
その死者の怨念をなくすのは、生きている私達が幸福にならないといけないといわれても、私はそこまではまだ達観できないので、彼の悪行の数々を忘れることができない。
私達が、信長を動かしてしまうのかもしれない。
憎しみには憎しみでは意味がない。
それは、わかっているようでも、なかなか実践することはできない。
今、もしもそれを世の中の人ができるとしたら、世界平和も実現できるに違いない。
まるで、夢物語だ。理想論だ。人間はそんなに単純な生き物ではない。
けれどそんな夢物語でも、自分がそれが正しいと認識することができるなら。
全員が変われなくても、この物語に触れたことで、変われるかもしれない人間が1人でもいれば、それだけで、きっと世界が変化していくに違いない。
隣人の怨念。それをいつか私も理解できる日がくるでしょうか。

高耶のビデオメッセージ、あれは高耶というよりも、この作品からの遺言なのだと思いました。
何度もあのページを読み返しました。
この本で一番私の心に残りました。

そういえば、国虎は浄化してしまったのでしょうか。
彼に限らず、清正や嶺次郎、政宗、そして高野山の人々にもお疲れさまって言ってあげたい。
願わくば、あの人たちの魂が安らかでありますように。

潮たちの努力で、黄泉から戻ってきた人たち。
あの戻ってきた場面は、まるで、再生への福音のように思えました。
希望が蘇ったような、印象でした。
実際、4万人も海から上がってきたら、かなり怖い光景だとは思うのですが…。

美弥ちゃんへの手紙、結局中身はわからなかったけれど、美弥ちゃんが、仰木高耶じゃなくてもあのお兄ちゃんが自分の兄だと言って、否定しなかったことが嬉しかった。

高坂の正体に納得しつつも、かなり予想外で驚きました。
そして、その換生理由も。
最後まで明かされないんじゃないか…なんて思って心配してましたが。
彼の魂のその後も気になりますが、あの肉体になってしまった晴家のほうも気になります。
あの身体が、他の服装をするところは想像できないのですが…これからは、晴家ちっくな服装になったりするんでしょうね。
でも、肉体には元の持ち主の思念が残るってことなら…晴家の傷ついた魂に、あの高坂の記憶は、魂に悪そうな気がします。
ともかく、晴家は無事に回復できるのを祈ってます。

千秋、最後までいい人っぷりが健在でしたね。
何度外見が変わっても、私の脳裏には…あのかつての千秋の外見しか浮かばないのです。
彼の今後も…大変そうだけど、命が終わるまではつきあって直江と一緒ってのが、ニクイです。
こんなラスト、予想できませんでした…。

さて、高耶の死についてです。
正直言えば、よくこの場面まで生き延びてたなぁ、と。
ある意味、理想な場面でした。戦闘の中に息を引き取るでもなく、直江の腕の中で。誰にも邪魔されずに。
私の脳裏に浮かんだのは、とてもとても美しい終焉の光景でした。
場違いな感想だけれど、直江の腕の中で…というのが本当に良かった。
2人のために、本当によかったと思う。
離ればなれで亡くなってしまわなくて良かった。
高耶が死ぬ運命だったとしても、直江の腕の中だったから、救われたような気がします。

あの岬の家の約束については、叶わなかったことが、とても残念です。
私以上に、直江はもっと残念だったに違いないけれど。
夢でもいいから、直江に見せてあげたいと思った。

でも、この高耶が死んでしまった場面、最初に読んだときには、さらっと流してしまったんです。
実は、ラストまでに生き返るんじゃないかって、そんなどんでん返しを期待していたんですが・・・私の考えは相当に甘かったらしいです。

最初に読んだときは、もしかしたら最後に生き返るんじゃないか、って考えたので、「こんなところで泣いてる場合じゃないわ!」
って続きを読むのに必死になってしまったという…。
最後の方読む頃には、もう祈りに似ていて…、心の底から生き返ることを祈っていたのですが、ページを読み進むごとに、頼むからどんでん返しだろうが、不自然でもいいから、と。
読了中に、こんなにも先の展開について、願ったことも、先の展開を考えたこともなかった気がします。
それはもう…、奥歯にヒビが入るんじゃないかってくらい、力を込めて、願ったのですが…結局は…ううう。
そんな訳で、私の浅はかな期待は見事に裏切られてしまった訳です。
読み返してみて、初めて泣きました。
結果からいえば、高耶が死んでしまったのは、やはり結構ショックでした。

あの死の場面は、アニメのOPのイメージにかぶりました。
屍の高耶を抱いて…ね。
いや、イメージがダブったり、今思えば…とラストへ繋がる部分をあげれば例えば、リーディングライブのCラストのもそうだったりもするんですが。
「この星の、最後の夜明けをみるまで」って台詞があったと思いますけれど今、思い返すとあの頃から、根底に流れていたものだったんですよね。
特に熊野編になってからを考えると、このラストへの道が本当に続いていた、におわされていたような気がします。
だから、正直言って、高耶が死んでしまっても、私は昔直江が銃弾に倒れた時ほどの衝撃は受けなかった。ああ、来るべき時が来てしまったな、というくらいで。もちろん、結構なショックはショックでしたが。

譲のミロクの悟りについては、あの申し出がとても意外でした。
まさにあそこが最後の選択だったのに、直江はそれを選ばなかったのが、また意外でした。
あれほどの葛藤をしていたのに、なんで直江は申し出を受けなかったのかと。
心御柱のせい? それとも高耶を失ったことは取り戻せないから?
イセを見た記憶があったから?
私は、直江があのイセへの道を辿ることはせず、回避しようとすると信じていたのであのミロクの申し出は渡りに船だと思ったのですが…。
ミロクが石になってしまったのも謎です。
高耶が眠りについてしまったから、自分も眠ることにしてしまったのかなと。

高耶の体が桜になってしまった辺りは、これ以上なく、先生やってくれるぜ!って思いました。ええ。彼にはとても相応しいと思います。
傍らに譲ってのが、ちょっとだけ気になったけれど。
でも共に眠るってので、友情ちっくな観点で見れば良い感じです。
もうこれから毎年、桜を見るたびに彼のことを思い出すことになると思います。
ソメイヨシノの寿命は100年と聞きます。彼はどんな桜になったでしょうか?
直江が、毎年高耶さんの化身の桜を見に訪れるだろうと思います。
そして、いずれ、その桜が枯れてしまっても、直江は生きて…次の代の桜が育ち、いつか樹が枯れてしまっても、直江はあの辺りへ訪れるんでしょうね。
…そしてイセへ繋がる、と。

直江のことですが、彼は随分強くなりましたね。
あの力を喪失寸前だった頃とは大違い。
ずっと彼の軌跡を見ていたことになるので、とても感慨深いです。
最初は、彼の執着心というか独占欲の先が見たかった。。
昔の彼は、当時の私の心境にとても似ていて。
私は、途中で逃げてしまったけれど、あの他者への執着心の行き着く先を見たかった。
私は直江がどういう結論を出すのか、ずっと興味があった。
答えを出すのを見届けたかった。
完結してみると、あの頃のテーマは薄れてしまったような気はしますが、最上のあり方だけでも、結論出してもらえてよかったです。

高耶を抱えて生きていくってのは、本当に予想できませんでした。
魂核死=爆発の印象があったので、他人の身体に入れたら、その人も巻き添えで爆発するんじゃないか?って思っていたので。

しかし、直江の体というか橘義明の身体は、よくもまあ…最終巻まで持ちましたね。散々大怪我したし、一度は死んだ身体だったのに。
でも、直江と高耶の2人ともが死んでいたとしたら、それはそれで、大号泣していたと思うので、直江だけでも無事で良かったです。

当然のように最終巻読破後に、もう一度37巻のイセの場面を読み返しました。
今なら、確かにわかることがありました。
読んだばかりの頃には、暗号のようで、わからなかったことが、パズルを解くかのようにハマっていきました。
あのラストからのイセへ至る途方もない直江の道のりを考えたときに、身震いしました。
あの37巻当時は、こんな未来は怖い、嫌だと否定していました。
でも、今は違います。
多分これから先の未来、きっとああなるんだろうという希望になりました。
あれは不確かな未来というよりも、確実な未来なのだと信じたいです。

直江なら、確かにここまでたどり着くだろうと。
こうして、永遠の誓いを確かめるだろう、と。
本当にあれは、彼らしい決断だったんだと。
今なら納得できる。
最終巻読了後には、すっきりとしなかったんですが、あのイセを読み返したらあのラストに納得できたんです。
そう納得できたとき、私はまた涙していました。

本来なら、ラストの先はさっぱりわからないよ、ってことで終わるはず。
けれどあのイセの場面があったからこそ、この遠い未来を、彼の選んだ道の先がどうなるのかわかって、私は最後には受け入れることができたのです。

私は、この巻に、この長い物語の根底のように流れていたものをようやく掴めた気がします。気がするだけです。
40巻もかかって…そしてこれが、先生が私達読者に訴えたかったことなのか、
自分は正しくメッセージを読み取れたのか。
そんな自信はないけれど、おこがましいかもしれないが、精一杯の自分で、その伝わってきたものを受け取ろうと思います。


さて。
今までは、この物語が私の生きていく希望であり、目的でもあったのですが、それは、完結してなかった物語が、今後どうなるのかって期待しながら読んでいたせいもあって…終わりを迎えてしまった今、今までと同じ気持ちでいることはできないと思う。
気分的には、卒業式を迎えてしまったって感じです。
自分の人生の中の、時代が一つ終わってしまったような。
本当に寂しい気分でいっぱいです。

これから、この作品のラストを知っている状態で、もう一度この作品を読み返したら…また、再発見できることがあるかもしれない、と。
そんなことを期待しつつ、作品の軌跡と思い出に浸りつつ、これからの数ヶ月を読み返して過ごしたいと思っています。

先生の言葉は、いつしか私の血となり肉となり…もう自分の一部のようになってしまった言葉も沢山あります。
考え続け、見つめ続けてきたミラージュ。
正直、自分の身内が亡くなったときよりも、この物語の終わりを見つめるのが辛い。悲しい。
読み終わって、悲しさよりも、終わってしまったという虚無感に近い脱力感でいっぱいでした。
この先、どうしようかと。
この物語は私の生きる支えとなっていたからです。
正直、終わりを自分で越えられるのかわからなかった。
けれど、私は最後に直江の今後の生き方を見て…ああ、と気づかされた。
終わりじゃないんだなと。
こんなときでさえ、私は作品に力をもらっているんだと。

これからは桜を見るたびに、彼のことを思い出しそうです。
いや、この先も忘れられるわけはないのですが…彼らは、私の青春そのものだった。

今年、私は旅先で桜の苗木を買おうと思っています。
米沢の桜です。上杉ゆかりの地の桜です。
その木がこの先、もしも花をつけることがあれば…きっとこの時の思いを思い出すと思います。何年経っても鮮明に。

この作品に出逢って十年ちょっとの間に、この物語を読んで、友人を作って、旅に出て、時には考え、時には泣いて、支えとして…この物語がきっかけとなったことはもう数え切れないほどのことがあって、私の人生の大部分を占めてしまいました。
全国を彼らの名残を探しながら、旅したミラージュツアー。
彼らのことを知りたくて、探し求めた歴史資料本の山。
集めた沢山の関連グッズ。
そのどれもを眺めるたびに、まだ終わりとは思えないし、終わりにしない。
喜びのときも、苦しみのときも、いつも傍らにはこの作品がありました。
これからも、きっとそんな日々が続いていくのだと思います。

この作品に出逢えたことはまちがいなく、私の人生における大金星でした。
きっと、この作品に出逢えてなければ、今、こうして生きてはいなかった。
ストレスのあまり、死ぬことばかりを考えていた頃、私を最後にこの世につなぎとめてくれたのはこの作品でした。
今、死んでしまったらこの続きが読めない、と。
私はまだ、終わりを見ていないんだから。と。
そこまでの執着をさせてくれた作品でした。

これから先、どのくらいこの作品へ執着し続けることができるのか、さっぱり、わからないけれど。
抱えていこうと思う。心の中に。
私の愛したこの作品を。
凡人なので換生はできないけれど、この命が終わるまでは。
直江ほどの意思の強さはないので、永遠とは誓えないけれど。
直江が高耶を抱えていたように、私も、この作品を心に抱えて。
終わり=忘れなくてはならない、ではないのだから。

私は桑原水菜先生の文章が大好きでした。
先生の文章には力がありました。
何度救われたかわからない。
私は、この作品に出逢えて良かった。
最後まで読み続けてこれて本当に良かったと思う。

ありがとう、ミラージュ。ありがとう、桑原先生。
たくさんの、いい眺めをありがとう。

04.5.1UP


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